コロナ禍での経営危機を乗り越えたたった一つの考え方 株式会社ハイアップス 代表取締役 小田山裕章
千葉県我孫子市と茨城県取手市を中心に、月1回、地域情報誌『みんなの情報誌』を発行している会社があります。従業員は社長を含めて現在3人。紙媒体が衰退し、多くの同業他社が廃業していく中、この会社は存続しています。秘訣は、時代の変化に合わせて「紙とネットの融合」に踏み切ったこと。Facebook、I…
千葉県我孫子市と茨城県取手市を中心に、月1回、地域情報誌『みんなの情報誌』を発行している会社があります。従業員は社長を含めて現在3人。紙媒体が衰退し、多くの同業他社が廃業していく中、この会社は存続しています。秘訣は、時代の変化に合わせて「紙とネットの融合」に踏み切ったこと。Facebook、I…
温かな記憶と共に育った日々私は静岡市清水区で育ちました。地元の商店街が並ぶこの街で、父が営む仕出し屋「こう月」の温かな空気の中で過ごした日々が、私の原点です。父は昭和50年に中華料理屋として創業し、仕出し弁当の事業へと広げていきました。自営業で忙しい日々を送りながらも、父は土日になると必ず公園に連れて…
転機となった44歳、組織での限界を感じて16年間勤めた商社を退職し、起業を決意したのが44歳の時でした。40歳を過ぎて管理職の立場になると、それまでとは評価の基準が大きく変わります。営業成績という明確な数字で評価されていた時代から、社内での上長との関係性が出世を左右する重要なウエイトを占めるよ…
【起業の原点】貧困から這い上がった幼少期体験今の私を見て、恵まれた環境で育ったと思う方もいるかもしれません。決してそんなことはなく、仙台出身の私は、家庭…
「人に使われるのが嫌だった」から始まった経営者への道「人に使われるのが嫌」—この想いを、駒沢大学法学部在学中から抱いていたから起業しました。特別な志があ…
精神疾患で入院から起業へ僕が起業を決意したのは、30歳を過ぎてからのことです。実は30歳の時にも一度起業を考えたことがありました。精神疾患の症状…
摂食障害15年──拒食症・過食症「過去の私を救いたい」この想いが、私の起業への第一歩でした。15年という長い年月を摂食障害と共に過ごし、その間に経験した…
シングルマザーから起業家へ|離婚をきっかけに始めた挑戦の物語私のこれまでの人生は、決して順調なものではありませんでした。離婚後、突然シングルマザーとして…
失うものがあったからこそ見えた道私が建築の世界に足を踏み入れたのは、16歳のときです。実家が建築業を営んでいたため、成り行きで大工の道に進んだのです。当…
20年の時間で大概のことはできる55歳になったとき、前に勤めていた会社で満額退職金がもらえる制度がありました。そのとき私は考えたんです。65歳ま…