
温かな記憶と共に育った日々
私は静岡市清水区で育ちました。地元の商店街が並ぶこの街で、父が営む仕出し屋「こう月」の温かな空気の中で過ごした日々が、私の原点です。父は昭和50年に中華料理屋として創業し、仕出し弁当の事業へと広げていきました。自営業で忙しい日々を送りながらも、父は土日になると必ず公園に連れて行ってくれました。私がサッカーや空手に打ち込んでいた頃も、応援に駆けつけてくれる姿がありました。
お昼時には、従業員の方々と一緒にお弁当を囲みました。夏休みには、好きなおかずを詰めて食べました。そんな何気ない日常が、私にとっての仕事の原風景でした。
幼いながらに、私はこう思っていました。「いつか自分も父の仕事を継げば、家族を守り、こうした生活を続けていけるのだろう」と。
週末には家族で旅行に行き、私立の学校に通わせてもらい、一見すると裕福な家庭でした。父の背中を見ながら、私は自然と「この店を継ぐ」という未来を意識するようになっていたのです。
6000万円の借金という現実
しかし、大学時代に状況は一変しました。子どもが生まれたことをきっかけに、私は大学を中退し、家業に入る決断をしました。家庭を守るため、そして父と母を支えるため。けれども、
そこで私が知ったのは約6000万円もの負債でした。
正直に言えば、若かった私はその重みを完全には理解していませんでした。「そうなんだ」と、どこか他人事のように受け止めていた部分があります。けれども、困っている両親の姿を目の当たりにしたとき、私の中で何かが変わりました。
私は心に誓いました。「この味と店を、必ず守り抜く」と。
個人事業としてずさんな管理が続いていたこと、飲食業と家庭が一体化してしまっていたこと、バブル時代の金銭感覚が抜けていなかったこと。様々な原因が重なり、負債は膨らんでいました。
けれども、私は「こう月」の商品の味には自信がありました。営業とプロモーションをしっかり行えば、必ず事業を拡大できる。そんな確信がありました。
営業の日々と離婚の危機
飛び込み営業は、私にとってすべてが恐怖でした。営業の経験もなく、訪問先の扉を前に何度も足がすくみました。
そこで私は、社内の営業ノートに訪問する会社名を先に書くことにしました。書いてしまえば、やらなければならない。自分を追い込むことで、なんとか一歩を踏み出していたのです。
そして、姉と一緒に営業活動を続けました。二人でどちらが契約を取れるか、ゲーム感覚で切磋琢磨していたのです。その頃は取引先との付き合いで会食や飲み会が続き、帰宅は深夜になることも珍しくありませんでした。
妻からは「普通の会社員の人と結婚すれば良かった」と責められ、子どもからは「いつも家にいないよね」と言われる日々が続きました。何度も離婚の危機に直面しました。
私は家族のために、売上を上げ、子どもたちに好きなことをやらせてあげることが自分の役割だと信じていました。「稼げば文句は言われないだろう」という気持ちで、ただひたすらに働き続けました。
さらに、父との関係にも悩みました。現場で一緒に調理をしながら、徐々に生産量が増え、商談や統計管理など現場以外の仕事も増えていきました。
けれども、職人気質の父は「現場以外は仕事じゃない」という考え方で、私の営業活動や異業種交流、経営学の勉強をなかなか理解してくれませんでした。「何してるかわかんないけど」「飲みに行ってるだけ」と言われるたびに、悔しさが込み上げてきました。
それでも、私は結果で示すしかないと思いました。会社を拡張させ、父にも休みを増やし、給与を上げていく。そうした努力の末、4年で借金を返済し、黒字化に成功しました。その後も事業は成長を続け、15年たった現在では年商3億円にまで達しています。
サウナという救い
静岡はサウナが多く、サウナの聖地と呼ばれる施設もあります。
最も苦しい時期、私を支えてくれたのは「サウナ」でした。
その時期に車で10分ほどの「柚木の郷」というサウナ施設に、私はほぼ毎日通うようになりました。幼少期からお風呂が好きで、のぼせるのも好きでした。玄関の外に出て、自分の体から湯気がモコモコと上がる瞬間。あの感覚が、心から気持ちよかったのです。
そんな私にとって、サウナは特別な場所でした。
サウナの中で、私は頭の中を整理していました。
人前で話すことや、異業種交流での緊張を乗り越えるため、「よし、行くぞ」と自分を鼓舞する時間。家に帰る前に、頭の中をすっきりさせて、家族に優しくなれる時間。サウナは、私にとって自信を取り戻し、プラス思考になれる場所だったのです。
通い続ける中で、私はあることに気づきました。若い高校生や大学生たちがたくさん訪れていたのです。毎日行く中で混雑している様子を見て、私はビジネスチャンスを感じました。「自分と同じように、サウナを利用している人がこんなにたくさんいるんだ」と。そして、「この人たちを癒やせる場所を作りたい」という想いが芽生えたのです。
地域への恩返しという決意
静岡市清水区の草薙駅周辺は、かつては商店街で賑わっていました。けれども、子どもの頃から親しんできた商店が次々に閉店していく現実を、私は目の当たりにしてきました。駅のロータリーにある一番大きなビルも、2階部分が空いたままでした。
静岡県内における商店街の空き店舗率は11.9%です。1商店街あたり平均4.12店が空き店舗という状況です。私は地域のお客様に支えられてきたからこそ、店を守ることができました。
だからこそ、「食」だけでなく”人が集う場”を作ることこそが、地域への本当の恩返しになるのではないかと考えるようになったのです。
そして、そのサウナで提供する食事について、15年以上調理をしてきた私には、確信がありました。できたて、揚げたての料理を味見する瞬間。その美味しさは格別です。けれども、お弁当は調理から配達、そして食べるまでに約6時間かかってしまいます。つまり、味が落ちてしまうのです。
私は思いました。「出来たての味を、絶対に届けたい」と。その想いを実現するために、サウナと食事処を併設することを決めました。
SAUNA煌-KOU-の誕生
2024年12月、私はJR草薙駅前に男性専用サウナ「SAUNA煌-KOU-」をオープンさせました。
サウナ好きの私が注目したのは、「黙浴派」と「交流派」の共存ストレスでした。コロナ禍で黙浴ルールが広まる中、一室しかないサウナ室では、静かに過ごしたい人と、仲間と楽しみたい人が互いに嫌な顔をし合う場面を何度も見てきました。
「癒されに来ているのに、こんな状況はまずい」と感じた私は、コンセプトの異なる2種類のサウナ室を作ることにしました。
仲間とわいわい楽しめる陽のサウナ「太陽」と、静かにととのう陰のサウナ「月」。そして、黙浴専用の「月」には、日本初となる「揺れるロウリュボール」を導入しました。天井から吊り下げられた球体にアロマ水を入れ、振り子のように揺れる様子は、まさに月のような雰囲気を醸し出しています。
お客様アンケートでは、7割の方が「月」を気に入ってくださいました。自分自身と向き合える静かな空間が、多くの方に支持されたのです。地元の皆様からは「サウナはありそうでなかった」という声をいただき、オープンから半年で1.8万人もの方々にお越しいただきました。
地域とのつながりを広げる
「SAUNA煌-KOU-」にはサウナ施設と食事処「こう月」があります。仕出し屋としての知見を活かし、水分・塩分・栄養をバランスよく取り入れた「サウナ飯」を提供しています。サウナ利用者以外の方も入れるようにし、地域の方々に気軽に立ち寄っていただける場所を目指しました。
また、地元の高校生たちとの「コラボ弁当づくり」にも取り組んでいます。
高校生たちは、単なる調理体験にとどまらず、原価率の計算や食材調達、コスト削減の工夫など、実践的なマーケティングを学んでいます。これは、将来地元で起業する可能性のある「未来の経営者」を育てる取り組みでもあります。
過去には、清水エスパルスの試合に合わせて、相手チームのご当地食材を使った「応援弁当」を企画しました。
「相手チームのご当地食材を食べる=勝つ」というユニークな発想です。学生たちからは「自分たちが考えた商品をお客様に買ってもらえて嬉しい」という声をいただきました。
これまでに、桜が丘高等学校、静岡サレジオ高等学校、静岡北高等学校、清水国際高等学校、静岡商業高等学校とのコラボ弁当づくりを実施してきました。
地域の食文化や商売の現場を肌で感じることで、若者たちの将来への意欲を高めるきっかけになればと願っています。
姉弟タッグと新たな挑戦
事業を支えてくれているのは、姉の栗田です。私が5年早く入社し、調理や現場管理をメインに担当していたのに対し、姉は経理や税理士との対応、給与面などを担当してくれました。
姉弟で役割分担がしっかりできたこと、そして「親を助けたい」「会社を拡張していきたい」という同じ目標を持っていたことが、成功の秘訣だと思っています。
姉弟で揉めることがあるとすれば、それはお金の問題でしょう。けれども、私たちは第三者の方を交えながら、しっかりとルールを持って調整してきました。
私は自身のことを「かっこつけのビビり」だと思っています。
営業でも、サウナを作る時も、やると決めたことを人に言って、後に引けない状況を作ってきました。自分を鼓舞するため、「サウナをやる」と周りに伝え続けたのです。
内心はビビっていても、男としてかっこつけたい。だから、言ったことはやらなければならない。そう自分を追い込んできました。
未来への想い
現在、私は様々な目上の方や尊敬できる方と一緒に過ごす時間を大切にしています。
考え方や見ている景色が違う人たちから、新しい知識やアドバイスをいただけるからです。会社規模や従業員への接し方など、大きな会社を経営している方々の意見を常に聞きながら、学び続けています。
短期的には、サウナの魅力をより多くの方に知っていただき、静岡県内、そして県外へと広げていきたいと考えています。トーンアップした人たちが増えれば、きっと地域全体が明るくなると信じています。
長期的には、清水区にリゾート地を作ることが私の夢です。
世界遺産にもなっている三保の周辺には、豊かな自然と資源があります。温泉やサウナ、グランピング、乗馬、釣り堀など、多くの人が楽しめる場所を作りたい。地震の影響で人が減ってきているこの地域を、再び賑やかな場所にしていきたいのです。
客船が泊まりに来る清水港には、海外の方も訪れます。この街で、静岡の良さ、清水の良さを伝えられる施設を作る。旅行客として訪れた時に満足できる場所を作る。それが、私の目指す未来です。
仕事とは何か――ゲームとしての挑戦
今、困難に直面している経営者の方々、地域を元気にしたいと思っている方々に、私は伝えたいことがあります。
考え方と元気があれば、何でもできる。
これは本当です。常に「なんとかなるさ」という気持ちを持って、私は頑張ってきました。恐れずに、逃げる時は逃げる。ワクワクしないことには手を出さない。けれども、少しでも感情がワクワクしたら、とことん突き進む。自分を信じて、ブレずにやっていけば、なんとかなります。
私にとって仕事とは、ゲームです。
目標達成に向かうと障害は起こりますが、それを乗り越えて挑戦することで、思い描いた未来を手にすることができる。そう考えています。
そして、私に与えられた使命は「人を元気にすること」だと思っています。
サウナと食を通じて、人々がトーンアップし、自分自身をコントロールできるようになる。そんな人たちがたくさん増えていけば、きっと街全体が明るくなっていくはずです。
これからも、私は地域と共に歩み続けます。食とサウナで、人と人をつなぎ、地元への恩返しをしていく。それが、2代目として私が果たすべき役割だと信じています。
SAUNA煌-KOU-(株式会社 KOU) 代表取締役 小俣憲一
〒424-0886 静岡県静岡市清水区草薙1-2-26
SAUNA煌-KOU- HP https://sauna-kou.com
















