
仕事に誇りがありました。それだけに、気づくのが遅かったのです。
私はもともと人材紹介会社に勤めていました。
人を採用したい施設と、仕事を探す求職者をつなぐ仕事です。しかし業界の内側に入ってみると、見えてくるものがありました。施設が頼んでもいないのに、勝手に望んでいない求人を掲載し、採用が決まれば成功報酬を取る。そんな慣行が、業界に当たり前のように存在していたのです。
「これは、何かがおかしい」
その違和感を胸に抱えながら、私は人材紹介会社を卒業し、とある医療法人グループへと転職しました。そのグループは、全国150箇所の病院・クリニック・介護施設を運営する大きな組織でした。
入職してすぐに、ある現実に直面しました。150の事業所のどこにも、人事部という機能がないのです。後から調べてみると、全国の約80%の医療・介護・保育施設が、人事部を持たないまま運営されていることがわかりました。院長や事務長が、本業の片手間に採用のすべてをこなしているのです。
自分たちがネット上でどう見られているか。どんな求人を出すべきか。それを考えられている施設が、ほとんどないのです。
私はその問題に対して、こういうスキームで採用活動をした方がいいと提案を出しました。その提案が通り、「じゃあお前がやれ」と言われたのです、私は自ら人材対策部を立ち上げ、グループ全体の人事部長として働くことになりました。
人事部長兼、皮膚科クリニックの事務長兼、老人ホームの事務長兼、グループ内人材紹介会社の営業部長……。4足5足のわらじを履かせていただきながら、私は全力で走り続けました。8年間、毎年200人の面談をこなしました。それが、私のサラリーマン時代でした。
私はその仕事に誇りがありました。手応えもありました。だからこそ、自分が置かれた状況に、気づくのが遅かったのです。
ある日、身体が、限界を告げました。
転機は、静岡の病院の建て直しに携わっていたある日に訪れました。
腹痛で、倒れてしまったのです。
後に「潰瘍性大腸炎」と診断されました。指定難病——発症の原因も、完治の方法も、医学的に明確でないもの。血が出る。腹痛が止まらない。日常生活が困難になる。そして脳裏によぎったのは、大腸がんへのリスクでした。
「なぜ自分が……」と思う余裕は、正直なかったです。症状がすでに出ていたので、「受け入れるしかなかった」というのが、偽らざる気持ちでした。
医療現場に長くいたからこそ、余計な情報が耳に入ってきました。難病患者としての恐怖が独り歩きし、不安が増幅していきました。しかし同時に、患者として医療を体験することで、気づかされたことがありました。
内視鏡検査の前日、2リットルの下剤を飲み干し、げっそりした状態で診察台に横たわっていた時のことです。検査に向かう不安と身体の辛さの中で、ふと看護師たちの会話が耳に入ってきました。
「今日何時に終わんの?」
「私、今日定時何時だからもう帰っていい?」
責める気持ちではありません。ただ、医療とは身体だけでなく、心を癒すものでもあるはずだと、患者として強く感じました。患者目線で気づいた違和感が私の心に深く刻まれました。
それは後に、私の仕事の核になっていきます。
33歳で発症し、35歳での独立を決めました。2年間、準備のための勉強をしました。株式会社の設立とは何か。経理とは。労務とは。財務とは。勢いで飛び出すことは、私にはできませんでした。
「絶対に何かしらトラブルは起きる。だからダメージをいかに軽減できるかの知識を持つべきだ」
それが、昔からの私のやり方でした。
肩書きが外れた瞬間、全員が去っていきました。
それから私は独立して、株式会社を設立しました。
しかし現実は、想像以上に冷たいものでした。
売上ゼロの日々が続きました。毎日DMを送り、飛び込み営業をする。土日も関係ありません。一日中走り回っても、誰も振り向いてくれない。4ヶ月間、ただ走り続けました。
夜は眠れませんでした。うとうとしても、悪夢から覚めるように目が覚める。何を夢で見たかは覚えていません。ただ、起きてしまうのです。
一番怖かったのは何か、と聞かれたら——正直に答えます。
建前から言えば、家族の生活が変わっていくことでした。子ども2人を抱え、妻は橋本病という病気があってフルタイムでは働けない状況です。そんな中で収入が途絶えていく恐怖は、本物でした。
でも、もっと正直に言うと、周りから「ほーらね」と言われるのが怖かったのです。
人事部長までやって、そこそこの給料をもらって独立したのに、独立したらやっぱりダメだったね、と。今となってはどうでもいいことですが、当時の私はそれを、ひどく恐れていました。
そして独立後、周囲から声をかけてもらったかというと、かけてもらっていません。誰も相談に乗ってくれませんでした。それまでの仲間たちは、会社を離れた瞬間に、綺麗さっぱり去っていきました。
「肩書きが外れたら、こんなに周りって変わるんだな」
人は、私という個人ではなく、人事部長という肩書きに集まっていたのだと知りました。それは悲しいことではありましたが、同時に大切なことを教えてくれた体験でもありました。
独立後、どんどん貯蓄がなくなっていく状況も、私に追い打ちをかけました。少しでも家賃を抑えるために、義理の祖母の家へと引っ越すことにしました。
「逃げるように」という表現が、正直なところです。
さらに、私は妻に対して心の中で怒りを向けていました。「なんで俺が頑張っているのに、お前は働いてくれないんだ」と。
今思えば、その矛先は完全に間違っていました。
倫理法人会と、トイレ掃除と、傲慢な自分への気づき
売上ゼロのまま4ヶ月が過ぎた頃、倫理法人会というものに出会いました。
怪しいとか、そういう感情は正直なかったです。「藁にもすがる思い」という言葉の意味を、あの時はじめて体感しました。毎日DMと飛び込み営業を繰り返してもお客さんがつかない状況で、何かにすがらずにはいられませんでした。
そこで倫理法人会で指導を受けたトイレ掃除を始め、妻に感謝を実践することを始めました。最初のきっかけは、「何かしなければいけない」という焦りと、祖母や家族に「ちゃんとやっている」と見せたいという思いが、正直なところでした。
でも、続けていく中で、気づきました。それは、自分の傲慢さです。
「なんで俺が頑張って成果を出せないのに、お前は働かないんだ」
その怒りの矛先が、病気を抱えながら家庭を守っている妻に向いていました。自分が苦しいからといって、その矢を向けていい相手では、決してありませんでした。
自分の傲慢さに気づいてから、家族の目が変わりました。それが、実践を始めて最初に感じた変化でした。
そしてもう一つ、変化がありました。倫理法人会に入っていることを、営業先で言えるようになりました。「お金もないのに何やってんの?」と思われることを恐れていたあの感覚が、消えていったのです。
心の状態が変わると、少しずつ扉が開き始めた気がしました。
初めて契約が決まった日
ある日の訪問営業で、話を聞いてくれる方がいました。
「一回だけでいいから聞いてください。最初の1ヶ月は無料でいいから、使ってみてください」
そう頼み込んで、契約が決まりました。
その方は今でも、私とつながっています。最初の1件が決まったことは、「私の話を聞いてくれる人が、この世界にいる」という証明でもありました。
しかし本当の戦いは、ここから始まりました。
先ほども述べたように、医療・介護業界では、全国の約80%の施設が人事部を持っていません。院長や事務長が本業を抱えながら採用をしているため、自分たちの求人がどうネット上に出ているかさえ把握できていないのです。
そこに付け込むように、人材紹介会社が勝手に求人を掲載し、採用が決まれば年収の約30%——看護師一人あたり約120万円の成功報酬を取っていきます。施設が頼んでもいないのに、です。
私はよくラーメン屋さんに例えてお話しします。
お店をオープンしたら、知らないおじさんが勝手に外でお客さんを呼び込み、席についたら「俺が連れてきたから仲介料ちょうだい」と言ってくる。腹が立つどころか、意味がわからないはずです。
でもウェブの世界では、これが日常茶飯事に起きています。これが「なりすまし求人」の実態です。
私はそれを排除するウェブクレンジングを軸に、クライアントの採用コストを削減していく仕事を始めました。しかし戦いは、簡単ではありませんでした。
紹介会社は「契約書を巻いているから消せない」と強気に出てきます。施設側も「採用の経路を消したら誰も来なくなる」と恐れ、なりすまし求人への依存を手放せない。もう一種の中毒だと私は感じています。
それでも、現場の固定電話一本で紹介会社に交渉し、時には職業選択の自由を根拠に契約破棄を迫り、クライアントの右腕として現場に踏み込んでいきました。簡単ではありませんでしたが、一つひとつ、前に進みました。
伴走型だからこそ、できることがあります。
やがて、成果が出始めました。
ウェブクレンジングを行うことで、同一施設の競合求人が消え、広告のクリック単価が圧倒的に下がります。年間1,000万円かかっていた広告費が500万円になり、同じ応募数が確保できる。その削減分からコンサルフィーをいただく——これが私のスタイルです。
「予算がいくらあればこれだけ採用できます」という提案をする会社は多いです。でも私は違います。「今いくらかかっていますか」と聞くことから始めます。まずコストを下げてから、仕組みを整えるのです。
2023年には、Indeed ストラテジック部門賞をいただきました。病院では珍しい「40時間常勤制」の導入スキームが評価されました。他業界では当たり前のことを、医療現場に持ち込んだだけです。でも、それだけで現場は変わります。
私が大切にしているのは、川の上流から下流まで関わることです。
求人広告という「下流」から入り、職員面談・定着率向上という「中流」を経て、人事戦略・経営戦略という「上流」まで、一貫して伴走します。上流だけ、下流だけという会社が多い中で、私は全部を一緒に考えるパートナーでありたいと思っています。
支援を始めて最初の1ヶ月でやることは、とにかく聞くことです。何に困っているか。いつまでに解決したいのか。そのためにいくらまで使えるか。KGIを確認しないまま、KPIを動かすことはしません。
また、クライアントが最初に口にする悩みは、だいたいこの三つに集約されます。
・採用単価が高い
・離職率が高い
・教育の仕組みが決まっていない
その根本には、人事部のない施設が抱える、孤独な戦いがあります。
あの経験があったから、今の私があります。
潰瘍性大腸炎は今、寛解状態にあります。医学的に治ったとは言えませんが、現状は問題ありません。
患者として感じた医療現場への違和感は、今の私の仕事観の根底にあります。人を採用するとは、来た人に対応するだけではありません。応募がどう来るかを考え、来た人をしっかりキャッチし、どう逃がさないかまでを全部まとめて考えることが「人事」なのだと、8年間の現場経験と、患者として過ごした時間が、教えてくれました。
肩書きを失った日、私は一人でした。でも今思えば、あの経験がなければ、今の私はありません。
役職に人が集まるのではなく、人に人が集まるようになりたい。それが、独立してからの私の根本にある思いです。
医療・介護業界には、まだ解決されていない問題が山積みです。
町の小さな眼科も、地方の介護施設も、皆が同じ悩みを抱え、紹介会社に頼るしかないと思い込んでいます。でも仕組みを変えれば、コストは下がります。採用は変わります。現場が変わります。
私はその「右腕」でありたいのです。
そのために、これからも現場に入り込み、泥臭く、誠実に、向き合い続けていきます。
会社名:株式会社よびこみや
代表者名:代表取締役 市毛聖太(いちげしょうた)
事業内容: 医療・福祉・教育業界に特化した「外部人事部」サービス(採用・人事コンサルティング、外部事務長代行、Webクレンジング、定着支援)
設立年: 2024年6月6日
従業員数: 1名(プロジェクトごとに各分野のプロパートナーと連携)

















