コロナ禍での経営危機を乗り越えたたった一つの考え方 株式会社ハイアップス 代表取締役 小田山裕章

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千葉県我孫子市と茨城県取手市を中心に、月1回、地域情報誌『みんなの情報誌』を発行している会社があります。従業員は社長を含めて現在3人。紙媒体が衰退し、多くの同業他社が廃業していく中、この会社は存続しています。

秘訣は、時代の変化に合わせて「紙とネットの融合」に踏み切ったこと。Facebook、Instagram、X(旧Twitter)、YouTubeといったSNSを活用しながら、紙媒体の強みを活かした独自のコンテンツ戦略を展開しています。

特に地域情報誌の「代表さんぽ」シリーズは、地域の人たちに大きな反響を呼び、毎回読者からのメッセージが届くほど。

しかし、この裏には、想像を絶するほどの困難がありました。支えてくれていたスタッフ全員の退職、コロナによる月商数千円の危機。何度も「終わりだ」と思いました。何度も諦めかけました。

なぜこの会社は潰れなかったのか。なぜこの会社は地域に欠かせない存在になることができたのか。

その秘訣を株式会社ハイアップス 代表取締役 小田山裕章氏に語ってもらいました。

営業マンとしての基本を叩き込まれた8年間の修行期間

小田山:私は20歳の時、水産加工物を扱うメーカーの営業マンとして社会人人生を歩み始めました。朝3時起きで市場に向かい、夜遅くまで営業回りをする。スーパーに並ぶ粕漬けや西京漬け、スモークサーモンといった商品たちを世に送り出すのが私の仕事でした。

その仕事は、正直きついものでした。しかし8年間、その環境の中で営業の基本を徹底的に叩き込まれました。朝3時に市場に通う生活リズム、お客さんとの信頼構築、そしてクレーム対応の本当の意味。今思えば、これらすべてが後の人生を形作る大切な土台になっていたのです。

営業を始めて8年が経ったとき、転機が訪れました。父親が服飾関係の事業を始めたという知らせです。父は一人で事業をしており、いずれ一緒にやろうという話がありました。なかなか父の誘いには応じられなかったのですが、あるときその事業に問題が生じました。そこで私は28歳の時、水産加工物の会社を辞め、父と一緒にボタンやファスナーといった衣料装飾品を扱う仕事に飛び込んだのです。

父がすでに持っていたお客さんのおかげで、最初のうちは売上がありました。しかし、取引先の大手企業の経営が傾き始め、あっという間に事業の先行きが見えなくなり、約二年で私たちはその事業を手放すことになったのです。

社長交代での決断が人生を変えた

再び職探しをする日々。叔父の紹介で、千葉県我孫子市を中心とした地域情報誌を発行している会社への入社が決まりました。この地域情報誌こそが、現在私の会社が発行している『みんなの情報誌』の元となる情報誌です。

そのときは営業という自分が得意な領域での仕事で、その会社に貢献していました。しかし、この時点ではまだ、これが自分の人生を変える転機になるとは思いもしませんでした。

その会社で数年営業をしていたとき、突然社長が代わりました。そして新しい社長から、衝撃的な言葉を告げられたのです。

「この会社を辞める。お前はどうする?」

私はしばし立ちすくみました。辞めるべきか、続けるべきか。人生で初めて、本当に悩みました。しかし、今までのお客さんたちが「もしお前がやるなら協力するよ」と言ってくれたんです。その言葉が、私の決断を後押ししました。

「動く」ことが奇跡を呼んだ

地域情報誌を発行する会社の代表取締役としてスタートした私は制作はしたことがなく、常に営業ばかりでした。

ですから、地域情報誌の制作はすべてスタッフ任せ。

後で詳しく述べますが、2019年の夏、外回りばかりの私に不満を持ったスタッフが全員退職します。

制作するスタッフがいないと、地域情報誌を発行することができない。

私は本当に困りました。

そのときに私が取った行動は、地元のパソコン教室を回ることでした。「パソコンを習っている人で、うちで働ける人はいませんか?」という必死の営業です。ダメ元でした。本当にダメ元だったのです。

地元のパソコン教室を回った翌日、一軒のパソコン教室から電話が入りました。

「25歳の女性がいるんですが、働けますか?」

彼女はパソコンスキルが高く、Adobe Illustratorも Photoshop も習っていました。翌日の面接で即座に決まり、7月31日にすべてのスタッフが辞める中、8月1日に新しいスタッフとして来てくれたのです。

その後、さらに若い20代の女性がもう一人加わり、一気に事務所が若返りました。当初、彼女たちとのコミュニケーションに不安もありました。世代が違う。価値観も違うのではないか。そう懸念していました。

しかし、現実は違いました。

彼女たちは、私の発言を新鮮な視点で受け止めてくれました。一方で彼女たちが教えてくれることは、私にとって全く新しい世界でした。古い漫画の話をすれば、「何ですか、それ?」と調べてくれて、興味を持ってくれる。また、彼女たちのスマートフォンの使い方、SNSの活用法など、毎日が新しい発見に満ちていました。

コロナ禍経営危機—月商数千円から生き残る道を探る

新しいスタッフが入り、これから事業を伸ばしていこうと意欲に満ち溢れていた2020年春。

私が起業してから最大の試練が訪れました。コロナです。

売上は半分以下に落ちました。最悪の時期には、月の売上が数千円だけという月もありました。緊急事態宣言が出た5月は、情報誌すら発行できなかったのです。

誰もが「この事業は終わった」と思っていたはずです。実は私も、何度も諦めかけました。辞めようかと何度も考えました。しかし、その度に周囲の人たちが相談に乗ってくれました。時には厳しいアドバイスもありました。

「悩んでいたって、何も進まない。動け」

その言葉が私を突き動かしました。

時の絶望感は、何物にも代えがたいものでした。しかし、絶望の淵から私を救ったのは、やはり「動く」という選択でした。

ちょうどその頃、一人のスタッフが「私、動画制作をやってみたいです。趣味でやってました」と言い出したんです。

その当時は、コロナ禍で紙媒体である地域情報誌の営業ができないし、人に会えませんでした。しかし、その一言がきっかけになり、YouTube を始めることにしたのです。動画の内容は代表の私が地域の色々な場所を散策するといった動画です。

最初は試行錯誤の連続でした。知識もなく、手探りで進めました。しかし、スタッフ間で相談しながら新しい技術に挑戦してくれるようになりました。動画編集の技法、撮影のコツ、配信の工夫・・・毎回、新しい工夫が加わっていきました。

そのYouTube動画も、2026年年初現在、1000人の登録者を目標にやってきましたが、もうじき達成しそうです。

地域情報誌の目玉コンテンツ「代表さんぽ」の誕生

コロナ禍で、もう一つチャレンジした企画があります。それは地域情報誌に掲載する「代表さんぽ」という企画です。これは本来、イベントも開催できないコロナ禍での苦肉の策でした。地域の人があまり行かないような場所を紹介する記事です。

しかし、この企画が予想外の反響を呼びました。「こんなに綺麗なところがあったんですか?」という問い合わせ電話が相次ぎました。スタッフも私も、その反響に驚きました。

やがて「代表さんぽ」はシリーズ化されました。そして今、48回を超える連載になり、今では、毎回「代表さんぽを毎回楽しみにしています」というメッセージも届くようになっています。

経営者の落とし穴—売上に目を奪われて失ったもの

かつて、売上が右肩上がりだった時代。私は忙しさに任せて、スタッフたちと十分なコミュニケーションを取っていませんでした。当時は月二回だった発行を回すため、私がいつも事務所にいない。スタッフには仕事を任せきりで、自分は外回り一辺倒でした。

その時の私は、イライラしていました。仕事が進まないことに不満を漏らし、怒ることもありました。月一回のスタッフとの食事会も、忙しさを理由に途中で抜け出したこともあります。

その結果が、スタッフたちの一斉退職でした。

あの時、初めて自分の行動がもたらしたものの重さに気付きました。売上という数字に目を奪われて、自分を支えてくれているスタッフを見ていなかったのです。

試練から学んだ「怒らない」マネジメント

だからこそ、新しく入った若いスタッフたちとの関わり方で、私は変わることにしました。

「失敗してもいいから、とりあえず自分の考えでやってみてください」

わからないことがあれば、一人で考え込まないで聞いてほしい。私は失敗の責任を持つ。その代わり、独断でやることだけはしないでほしい。

そして、怒るのをやめました。代わりに、失敗をどう改善するかを一緒に考えるようにしました。また、お客さんからの声をすべてスタッフたちに共有するようにしたのです。

「今日もこういう電話があってね、お客さんが喜んでくれたよ」

「怒られちゃったんだけど、次はどうしようか」

と、一緒に考えるようにしました。

その結果、スタッフたちが「毎回、新しいことに挑戦してる」と言ってくれるようになったのです。

失敗しない経営者ではなく、失敗から学ぶ経営者になる

多くの人が私の会社のことを「よく潰れなかったね。不思議でしょうがない」と言います。その度に私は、「運だけで生きてる」と答えます。

しかし、本当の話をすれば、それは単なる運ではないのかもしれません。

水産加工物の営業時代、私はクレームが好きで、自ら怒られに行っていました。なぜなら、そこで初めて会える人がいるから。そして、ちゃんと謝って改善すれば、相手の怒りは信頼に変わることを学んだのです。

全店舗を回ってひとつひとつ商品を回収する事態になっても、ちゃんと誠意を持って対応すれば、相手と信頼関係を構築できることを経験しました。

これらの経験が、コロナの最悪の時期に「とりあえず動く」という判断につながり、そして「動け」というアドバイスを受け入れられたのだと思います。とりあえず動かないと誰ともつながることができません。

コロナ禍の経営危機を乗り切った一つの秘訣があるとすれば、「諦めないこと」と答えるでしょう。本当にそれだけです。

さらに言えば、失敗を失敗と思わないこと。失敗は改善の機会です。そして何より、完璧を目指して悩むより、とりあえず動くこと。動く中で、必ず道は開けます。

会社名:株式会社 ハイアップス

代表者名:小田山裕章

事業内容:情報誌発行 HP制作・動画制作・印刷デザイン制作など

設立年:平成27年

従業員数:3人

会社HP:https://minnano-j.com/

YouTube:https://www.youtube.com/@minnano-j

Instagram:https://www.instagram.com/minnano_jyouhoushi/

TikTok:https://www.tiktok.com/@minnano.j

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